恩師のせなか

あなたの背中は、いつも大きかった

2018-02-01から1ヶ月間の記事一覧

教え育てるということ

「教育」ということばは「教える」と「育てる」からできている。 つい、我々は「教える」ことに熱心になりがちだが、 近年は「教える」側が多くなった。 今のわれわれに必要なことは むしろ、「育てる」ことではなかろうか。 子どもたちの純粋な興味をくみ取…

教えるのではなく、支援する

学ぶ人と教える人の関係があるのではなく、 学ぶ人と支援する人の関係が 教育の真髄ではなかろうか。

問題意識があれば、色々と学べる

問題意識があれば、色々と学べる。 これはそうだと思う。 問題は、問題意識が持てないこと。 問題意識とは、必要性、興味、関心、怒り、疑問などだと思うのだ。 この中で強いのは怒り。 それが私憤でなくて公憤であれば、多くのことを学べる。 そして、解決…

教師の喜び

教師の喜びは、スポイルされているような子どもたちをこそ 立ち直らせるところに存在する。 やる気のない子どもにやる気を湧かせるためにこそ 教師は必要なのである。 だから、子どもがやる気をなくしているなと読みとれたときには、 むしろ教師は、しめた、…

成功よりも成長

成功よりも成長に目を向けること。 成功させることは、ミスを許せなくする。 人間は、完璧ではない。 成功もするし失敗もする。 間違えたっていいではないか。 失敗したときに、ふり返り、反省し、改善することで成長するのである。 できないことができるよ…

どのように生かすか

同級生には、足が速い人も遅い人もいれば、 歌がうまい人も下手な人もいます。 これらは各人のもって生まれた能力や才能ですので、 高い低いや多い少ないの差はあれ、 それ自体ではえらくも何ともありません。 問題はその能力に磨きをかけ、 どのように社会…

失敗とミス

失敗は挑戦した証。成功しなくても、成長している。 しかし、間違えてはならないのは、失敗とミスは違うということ。 失敗にあってミスにないもの。 それは、試行錯誤。ここは間違えないようにしたい。 池田修

すぐれた「言い聞かせ」

すぐれた「言い聞かせ」は、次の五条件を満たす話である。 1.面白い例話の形をとっている。 2.具体的なわかりやすい話である。 3.説教くさくない話である。 4.深く心に刻まれる話である。 5.冗漫でない短い話である。 注意する場合、ときに、上の条件を…

連戦連敗

連戦連敗で、厳しい世界を戦い抜くと、 ときに思いもよらない形で夢がかなうこともある。 だから生きることは面白いのである。 安藤忠雄

この子がいてくれたおかげで

「この子さえいてくれなければ…」と考えたこともある子どもを、 「この子がいてくれたおかげで…」と位置づけたときから教育は始まる。 東井義雄 「いのちの実感」

究極の学習

孫子の兵法に敵を知り、 己を知れば、百戦危うからず という言葉がありますが、 究極の学習というのは (メタ認知)と「相手の気持ち、考え方、感情を知る」(思いやり) であると思っています。 羽生善治

自主自立の教育

なにごともそうだが、研究してみる。 子どもの意見、専門科の意見を聞いてみて、 いろいろ教えてみる。 そして、そのなかからいいものが判断できるようにするのが 自主自立の教育ということだろう。 「こうすべきだ」「こうあるべきだ」という 教師の一方的…

点数と能力

合理的で直線的な学力向上では、 点数は上がるかもしれないが、 学力に結びつかないかもしれないし、 学力は高くなっても(社会的な)能力には つながらない可能性もある。 諏訪哲二

未来の目的のために

未来の目的のために、 「いま」の輝きを止めるというあり方こそが 私たちの自由を奪ってきたということを 私たちは肝に銘じておかなければなりません 上田紀行

子供の人権

子供の人権には三つの柱があると坪井さんは言う。 「生まれてきて良かったね」と言ってもらえる。 「ひとりぼっちじゃないからね」と言ってもらえる。 「あなたの人生はあなたしか歩めない」と認めてもらえる。 おおたとしまさ

クリエイティブな行為に必要なのは

自己を数量化されることに慣れてしまった若者は、 生きるという未知の行為には無能であろう。 クリエイティブな行為に必要なのは、 何かを覚えこむのではなく、積極的に未知の世界にとびこみ、 みずからの力で道を切り開く能力である。 大田尭

嘘のなかの手がかり

生徒指導では、ときに、 子どもがウソをついていることを承知で、 子どもの言い分に耳を傾けることも必要である。 「嘘をついてなにを守ろうとしているのか」 「なぜ、嘘をつこうとするのか」 という嘘のなかの真実に、 指導の手がかりのあることも少なくな…

説得と説教

説得は説教とはちがう。 説得には反論が許されるということである。 教師の説得に子どもは「なぜなの」と質問したり、 「食べたいときに食べていいと思う」と、 反論してよいのである。 つまり、そこに対話があるということである。 子どもの意見を「なまい…

子どもの躾

子どもの躾は、 自分以外の人の、 生きてるものの痛みがわかる子供にすれば 教育の半分はできたと考えなさい。 静

傾向と対策

”傾向と対策”だけで受かる世界に進んでどうなるって思ったんだ。 ”傾向と対策”だけじゃどうにもならない世界に進んでこそ、 人生面白いわけだしさ 原宏一

「働く」の向こう側

ぼくは、じぶんもそうなので、 人間は、「働く」ことそのものを 好きじゃないと思って、 いろんな計画を進めることにしています。 人間は、「よろこぶこと」が好きなだけです。 いろんな人がよろこんでくれたり ごほうびをもらったり、 ずいぶんといろんなこ…

チャンスというもの

チャンスというものはオブラートに包まれているもの。 だから、チャンスをつかめないという人は、 第1は単に気づかない人で、 第2はめんどくさいと思って チャンスから目をそらしている人、 めんどくさいものこそ、 中途半端にふてくされてやると、 ただのロ…

叱る基準

「叱る基準」は三つある。 一つめは、「生命に関わること」。 二つめは、「他人の不幸の上に自分の幸福を築くこと」。 三つめは、「三度注意して、改善の見込みが認められないとき」 といったものだ。 野口芳宏

「わかる」ということ

あることがわかると、新しい「わからないこと」が見える。 この「わからないこと」が見えることが、 本当に「わかる」ということである。 「わかる」ということは「わからないこと」が減るのではなく、 逆に増えることなのである。 だから、「わかっている」…